人は未来の話をして盛り上がり、そして勝手に盛り下がる。
予測不能なカオスに仮の秩序を与えておかねば、自分を保てなくなるほど、危うい。
成功、結婚、子供、マイホーム。
一般的な幸せとは、きっとそんなものだ。
そのあっけらかんとした記号連鎖の世界の方が容易いのだろう。
それに口出しするつもりは全くないが、昔からそこへの違和感が拭えない。
卑屈な自分に嫌気がさすこともあったが、この感覚はあながち間違っていないかも知れない。
過不足なく言語化できてしまうものは、“幸せ”ではなく、“理想”なのだ。
過去の記憶を辿っても全てが断片的で、私の情動のすべては、“リアル”そのものに存在していた。
その瞬間の温度を無造作に放り投げれば、二度と戻らないか、刃の様に反転して心臓に突き刺さることを学習済みだ。
私は、空を見上げ昨日よりも月が満ちていることや、目を閉じ風に触れること、誰かの表情が昨日より少し朗らかになっていることに、小さな感情を宿していたい。
その幸せを取りこぼしたくはない。
今この瞬間の感情に正直であることこそが、誠実に、そして泥臭く“生きる”ことだ。
その泥を一つずつ拾い上げ、自分の肌に、適切な場所に塗り込んでゆく。
そして案の定、“綺麗ごとだ”と嘲笑される。
私はいつだって本気だ。