本当の自分の感情と向き合った瞬間、私は制御不能な速度で下降していった。
この三年間でようやく“現実”と呼ばれるものの全体像に光が当たり、私はその輪郭と正面から対峙した。
思い出しもしなかった過去の出来事が、まるで昨日の情景のように蘇る。
その瞬間、記憶は単なる過去ではなく、私の思考そのものを組み替える装置へと変質した。あの頃の私は、異様な光景の数々に目と耳を塞ぎ、認知を介することすら放棄していたのだ。
もしあの時向き合っていたならば、この三年間の苦悩を避けられたのだろうか。
消えることのない残り滓を、私はひたすら拾い集めている。
下校途中、工場地帯の鉄と油の匂いが混じる空気を抜けると、家の気配が一気に迫ってくる。
早く何処かへ逃げ込みたいと、毎日のように願っていた。
滅多に家に帰らない父と運悪く居合わせる日は、怒声と破壊音が近所にまで響き渡り、鼓膜を鋭く裂いた。朝方の階段の足音に怯え、音を立てたら怪物が襲ってくると本気で思い込み、身体は鉛のように固まった。
母を罵倒し、愛犬を殴り、包丁を持ち出したり、首を吊ったり。死ねるもんなら死んでみろと何度も脳で殺した。
母だけが味方だった。
母を深く愛し、依存し、時折軽蔑もしていた。
そして最大の脅威である父を、なぜか哀れみの感情で包んでしまう自分が理解できなかった。
「貴方のことは愛しているんだから」
母が繰り返したその言葉を、私はどうしても許せなかった。
間接的な暴力ならば許されるのか。
変わりもしない父を信じ、裏切られ続ける母を、私はどこかで軽蔑していたのだ。
不幸自慢をしたいわけではない。
ただ、ぬくぬくと育ってきた人間と同じ地平に立たされることを、どうしても受け入れられない。
その感覚が消えない。
だからこそ私は、日常的に追体験という名の“軽い自傷行為”によって、辛うじて自分の存在を肯定していたのだと気付いた。
不思議なものだ。
長年密閉されていた記憶は、一度蓋を開けた途端、靄のように延々と湧き続ける。やがてそれらは、より邪悪な物語として再編集され、自分自身の行動にさえ過去へと責任転嫁してしまう。
この“暴力的な編集者”は、極めて悪質だ。
この不健康な循環から離脱するため、私はまず、長年の問題であった酒を断った。
酒に溺れながら書いた日記には、父に近づいていく自分への懺悔が延々と綴られていた。
まだ数ヶ月とはいえ、驚くほど滑らかに脱却の道を歩んでいる。
だが、思考も習慣も何一つとして変わらなかった。
それを認識できたこと自体が、私にとって大きな収穫だ。このまま酒に逃げていたら、本質的な問題を永遠に取り違えていただろう。
そしていくつかの気づきもあった。
ひとつは、“意味付けの強迫観念を緩めること”
私は行動力が高く、ときに衝動的ですらある。その反面、行動した直後に急激に理由付けや意義を求め始め、その重さに飲み込まれ失速する癖がある。
感情を曖昧なまま抱えて進むことに、異常なまでの不安を覚えてしまう。だからこそ行動の背後に意味や正当性を与え、感情を思考の管理下に置こうとするのだ。それは成熟の証ではなく、感情をリスクとして扱ってる証である。
「これは実験だ。まだ経過観察の段階だ。」
そう捉えるだけで、感情を解析し切ろうとする衝動から一歩距離を取ることができ、僅かに呼吸がしやすくなった。
もうひとつは、“軸のブレを許すこと”
この面倒な内的モンスターをどうにか駆逐しようとしながら、その先に何が残るのかは、未だ分からない。
むしろ、その“分からなさ”を許容することこそが鍵なのかもしれない。どう飼い慣らし、どう赦すか──その技法が必要なのだ。
すべては、自分自身への許容の度合いにかかっている。
そして、内側の世界を整え始めた時、ようやく気付いた。
“自分との向き合い”と“他人との向き合い”は、分離しているようで実は同じ構造の裏表であることを。
自分をどう扱うかが、他人をどう扱うかを決定していたのだ。
昔から、自販機を見ると嫌悪感を覚える。
ボタンを押せば即座に反応し、飲料とお釣りを返すあの機械。
私はそこに、自分の姿を透かし見ていた。そして、売り切れボタンに羨望していた。
条件反射的に迎合し続けていた私には、“売り切れ”というたった一文字の拒否宣言が、残酷なほど眩しい特権に見えたのだ。
長い間、私は無意識のうちに他人から嫌われないように動いていた。
しかし二十歳の頃、そのすべてを突然放棄し、交流の取捨選択に全力を注ぎ始めた。
他人からの依存も、依存を生み出しうる環境も、徹底的に切り離した。そして環境は劇的に好転した。
だがその癖に対する執着は強まり、他人への予防線は年々堅牢になっていった。
今もそうだ。他人を経験則で分類し、常に危険を先回りして回避しようとしてしまう。
他人軸では生きたくない。
しかし、この歪んだ幅のまま生き続けたいわけでもない。その微細な偏位を、ゆっくりと修正したいのだ。
過去を振り返ると、長年の緊張の中で感情は外に出る前に内側で膨らみ、圧縮され、歪な形で肥大化していた。その根底には、幼い頃から使ってきた“自分を矛先にして物語を収束させる” “他人に期待しなさすぎる”という過剰な防衛があった。
かつてはそれが自分を守る方法だった。
しかし今は、他人の感情を過剰に引き受け、自分を消耗させる生き方も、“加害者にならないために被害者側に立ち続ける”矛盾した防衛も、もう必要ない。
だからこそ、傷つくことから逃げず、本心を開示し、自ら差し出す勇気を持ちたい。
「この世の大半は自分を薄く舐めている」
「都合よく扱われる存在だ」
そんな認知的偏りも、他人との極端な距離感も、“依存=危険”という思い込みも、少しずつ手放していきたい。
案外、ゴールはもう近くにあるのかもしれない。
そう思えた瞬間の感覚を、私は信じてみたい──